インフォメーション 〜time now〜


 皆さん、こんにちは。透析室、理学療法士の長尾です。私は当院に入職して15年目になります。2022年に透析室に異動し、透析患者さんにより良いリハビリテーションを提供するために日々勤務しています。異動にあたって、慣れない業務もありましたが、少しずつ板についてきたように思えます。
 さて、前回のtime nowでは『マラソン』について書かせていただきました。今回は、その後を報告させていただきたいと思います。

 私は趣味のマラソンに取り組む中、目標の一つに、地元大分で開催される『別府大分毎日マラソン(以下、別大マラソン)で自分が狙った結果を出すこと』を挙げていました。実は別大マラソンは誰でも出場できる大会ではなく、過去のマラソン大会での実績が必要で、直近2年以内に公認大会を3時間30分以内で完走することが最低条件になります。距離や時間だけに着目すると走りきることは容易でない種目だと思われるかもしれませんが、走る側に立つと意外とあっという間に過ぎるものです。

 青島太平洋マラソンを3時間22分(2018年12月開催)で完走してからは、職場のチームでリレーマラソンに参加したり(2019年11月開催:男女部門別優勝)、県内一周駅伝で補欠選出されたり(2020年2月開催)とスモールステップですが成長を実感していました。しかし、2020年の春に甲状腺を悪くし、約1年間はまともに練習ができず苦しい時期を経験しました。医師に指導を受け許可も得ながらウォーキングから再開し、どうにか走れるようになったものの体重が増えてしまい、思うようにコンディショニングできないこともありました。でも、振り返ってみれば体調を崩したのも体の土台ができていなかったからだと気づくことができ、良かったと思います。地道にコツコツと練習をして、2021年12月には再び青島太平洋マラソンに参加し、3時間15分の自己記録で完走できました。以後、脚を何度か故障しましたが、不思議とその度に回復して復帰したことを覚えています。そして、今年の2月に開催された別大マラソンでは2時間54分37秒で完走。ベストコンディションではありませんでしたが、冷静なレース運びを心がけて走ったものの自己記録が出たことに自分でも驚いています。2018年からおよそ30分自己記録が縮まった要因を挙げるとキリがありませんが、振り返っていくつか挙げてみます。

① 健康面
甲状腺をはじめ健康状態が安定していたことが第一だと思います。脚の怪我など小さなトラブルはありましたが、数年に亘ってしっかり練習できたことがものをいったと思います。健康あってのランニングです。また、ワークライフバランスもしっかり考えながら、過ごしてきたことも大きかったです。

② 練習面
練習内容は多岐にわたりますが、とにかく練習量が増えました(グラフ参照)。2018年の年間走行距離は2500㎞、月間200㎞でした。2019年は3200㎞、月間300㎞程度。2020年は1000㎞と月間100㎞に満たず。2021年は3000㎞、月間250㎞程度、2022年は3600㎞、月間300㎞、そして昨年は4200㎞、月間350㎞。2023年は多い時で一ヵ月に550㎞走りました。フルマラソンの記録が練習量に比例するような結果が出ました。練習量が全てとは言い切れませんが、大きな怪我をせずに練習ができたことが関係していたと思います。

③ 経験
マラソン本番では色々な局面に遭遇します。体調のみならず、コースや気象条件などさまざまで同一条件ということはありません。ペース設定をどうするか。どんなウェア、シューズを履くのか…色んな選択に迫られることもあります。『練習は試合のように、試合は練習のように』を心がけ、レース本番でも自分を見失わずに冷静に対処することが成果を上げるコツになります。

④ 仲間
毎日のように走ると練習のマンネリ化や走ることが多少億劫になることがあります。ランニング仲間がいることで決して一人ではできなかった練習ができたり、大きな成果を生んだりすることがあるのだと感じています。ただ走るのではなく天気が良い時は仲間と景色の良い山を走り、海岸を走り、県内各地に出向いて自然を堪能しながら飽きずに走れたのも良かったと思います。
今後も仕事を第一に、趣味であるマラソンも一生懸命に走り続けていきたいと思います。今シーズンの目標は2時間50分切り、そして夢は大きく、いつかは2時間40分を切れるようになりたいです。

 先月あった出来事を1つ紹介したいと思います。私には95歳になる祖母がいました。脚を悪くはしていましたが、身の回りのことはおおよそ一人でできており、医療従事者の私から見ても100歳は十分に超すことができると信じていました。しかし、肺炎を患いこの春に逝去しました。あまりの展開に心の準備もできていませんでしたが、冷静に考えてみればピンピンコロリに近い形で、苦しむ時間が少なくて済んだのかもしれません。もともと葬儀の期間にはフルマラソンの大会に出場する予定でしたが、やむなく参加を見送りました。奇しくも、脚の調子はイマイチで、マラソン当日は大雨予報でした。祖母が存命していれば強行出場する気持ちでしたが、志半ばで断念となりました。少しやるせない気持ちになったものの、祖母に『雨も降るし、脚も万全でないなら出らない方が良いよ』と言われているような気がして、救われた気持ちになりました。私は、ことわざの『人間万事塞翁が馬』という言葉を気に入っています。一見、不運に思えたりすることが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえで、幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということです。マラソン大会を欠場したことで、脚の痛みが寛解し、次回の別大マラソンで更なる自己記録の更新を目指して、仕事も趣味もより充実させたいと思います。

 最後に、マラソン選手で有名な君原健二さんはこのような言葉を述べています。
 『人生は、よくマラソンに例えられるが、私はむしろ、人生は駅伝であると思う。前を走った走者から、たすきを受け継ぎ、後に走る者につなぐ…。途中で走ることをやめるわけにはいかないのが人生。』
 自分自身に置き換えると、この数年間に亘って仕事やマラソン、生活面で色々なことを学びましたが、得た教訓や学びを患者さんのみならずしっかりと次世代に伝達できるように日々精進して参ります。




令和6年4月タイムナウ
諏訪の杜病院 透析室 理学療法士 長尾貴幸